わたし、入院しています

急に入院した女の話

わたし、入院していますep.10

「数値が右肩上がりでいいですね」
血液検査の結果が毎回良くなるので、先生に驚かれた。

こんな回復力あるならなんで穴があくほどのことになっちゃったんだろう?

と言ったらごんのすけが「若いほど進行も早いっていうじゃん!」と言うので、ナルホドそう言うものかな、と納得した。

娘が病院まで届けにきてくれた手紙、想いを形にするエネルギーが凄すぎて感動とか泣くのを通り越して心配で不安になってしまった。

ああ、家にいないことでどれだけ不安にさせちゃったんだろうか、傷を残すことになっちゃったのかなあ…

それを友達に言ったら

「というかそんな親ぶるなよ!病気なんだし!」

「まずは治さないと!肉食え!コーヒー飲め!」

「親としてこうあるべきっていう理想が高すぎるんじゃない?」

などと言われ、ああそれはそうかもしれないな、と思った。

率直に言ってくれてありがと、友人たち。
わたしが完璧主義すぎるんだろうなと思って。できないのに。
だから胃腸に穴とかあくんだな〜…

具合が悪くなっちゃった自分、できない自分を責めるんじゃなくて、できなかったね、具合悪くなっちゃったね、仕方ないよね〜と思うようにしよう、まずは。
自分が大丈夫じゃないと子どもも、家族も、大切なひとたちのことも大切にできないから。

そして今日(2/10)の採血結果が良く、明日退院できることになった。

できれば家でもお粥食べてと言われ、まだ肉も食べれないし、揚げ物もダメ、生モノもダメ、お酒はもちろん、炭酸やコーヒー、それから辛いものやチョコレートなども食べれない。

気持ちはいくら元気でも、内臓が元に戻るまでには意外と時間がかかるものなんだなと改めて思う。
2週間ぐらいは自宅安静。
薬は朝に胃薬一つ飲むだけ。

体は自分が生きてくための大事な容れ物なんだから、ちゃんと大切にしてあげないとね〜。様子も見て、メンテナンスもしてあげないとダメだねえ。過信しちゃいけないよねえ。そもそもそんな体強くないし(みるくにも、ももちゃんにも言われた)。

1/27から2/11まで、16日間の入院だったけど、こうやって体調も頭の中も現状を公開し続けることで本当にいろんな方に心配していただいた。ありがとうございます。

この日記は、自分のインスタグラムでリアルタイムに更新し、それをnoteにまとめたものを、お引越しではてなに転載したものです。
インスタとfbでたくさんのコメントやDM、LINE、それからTwitterやclubhouse🦀やnote(当時連載していた)の方でも、たくさんありがとうございました。

おかげさまで寂しくなかったです。
娘の方がきっとずっと寂しかった。
私はこうしてリアルタイムにコミュニケーションも取れるけど、子供はいろんなことが自分では選べないから。

そんな娘を心配して見守ってくれたり、一緒に遊んでくれたりしたお友達、守ってくれた家族、本当にありがとう。後でちゃんと直接言います。

ひとまず入院生活のリアルタイム日記は終わりにします。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。
次回は娑婆でお会いしましょう♡

おわり

わたし、入院していますep.9

体調も落ち着いてきたので、生活サイクルがしっかりできてきた。
備忘録に1日のスケジュールざっくり書いておく。

5:15 起床(身支度したりごろごろ)
6:00ウォーキング、体重測定(毎日測って書くところがある)
6:30ストレッチ、筋トレ(軽〜く)
7:00勉強

8:00朝食

8:30ウォーキング、お風呂の予約
9:00作業時間(だいたい文章書くか、絵描くか、勉強)

12:00昼食

12:30ウォーキング
13:00作業時間(上に同じ)
16:30お風呂
17:00ストレッチ

18:00夕食

18:30ウォーキング
18:45勉強
19:30自由時間(ドラマ、映画見る)
21:00消灯

だいたいこんな感じ。
やたら細々ウォーキングが入ってるのは、食べたものを消化するためにすこし運動するのが一番良いことが分かったから。
軽く運動すると血流が良くなって胃の消化を助けるし、そのあと勉強なり作業なりに集中できる。

日中痛みやだるさで寝てることはもうほぼなくて、だいたいこのスケジュールで過ごしている。

多分コロナじゃなくて面会なんかがあればそんなことないんだろうけど、検査がなければほとんど毎日こんな感じ。

だいたい同じ人が、同じ時間にウォーキングしている。

いつ見ても歩いてる鉄人みたいなおじさんがいて、後で聞いたところによると一日25000歩も歩いてるんだそうだ。
それから常にリュックを背負って歩いてるおじいさんがいる。亀の甲羅みたいに綺麗なだ円形のリュックでゆっくり歩いている。負荷をかけるために背負ってるんだろうな。

BTSを聴きながら黙々と歩いてると、だんだん体が温まってくるのがわかる。すこし早めに歩いているので、息も上がってくる。

体が温まったところでストレッチと筋トレしてると、だいたい6:40ごろで日が昇る。それを見て部屋に帰って、スッキリした頭で勉強する…のが良いペース。

しかしその良いペース、あっさり2日で崩れることとなった。

Not Today聴いてる時、前を歩いているおじさんの横を追い越す形で通った時、おじさんがなんか言ってることに気づいた。

イヤホンはずしながら「はい?」と聞くと

「速いねえ、痛くないのぉ?」
「ああ、痛みは今もうなくて…」
「僕はねぇ(ゼェ)傷が痛くてねぇ(ハァ)、でもねぇ(ハァ)、一周、二周は辛くても、四周、五周とするとね、段々痛みを忘れてきてね(ゼェ)、もう一周頑張ろうと思うんだねぇ(ハァ)」

めちゃくちゃ息上がってる

「今何周目なんですか?」
「三周(ハァ)」
「一番辛い時ですね」
「そうなのぉ(ゼェ)」

そうしておじさんはそこから延々話続けて、その朝は歩きながらおじさんの自叙伝を聞くこととなった。

7時ごろに(6時から歩いてるからほぼ1時間)おじちゃんが看護師さんに

「相田さんおしっこのパック変えて良いですか〜」

と言われたところでお開きになったんだけど、話の佳境(事業後継者をどうするか問題の途中でめっちゃ良いところだった)だったので、

「じゃまた明日〜!」

と言って部屋に帰った。

そして、その日から毎朝一緒に歩く事になった。
歩くペースはだいぶゆっくりだけど
おじちゃんは敏腕営業マンだっただけあって話が面白く、ほっぺたが痛いぐらいずっと笑ってる。

せっかくできたペースが崩れるなぁとすこし残念な気持ちにもなったけど、これも何かの縁だしそれはそれで良いか、という気持ちになっている。

そして検温にくる看護師さんや担当医に
「あれ?お知り合いですか?」
と言われる…

痛みの山もこえて、症状もおちついて、数値も安定してきた。
入院生活後半戦に入ったけど、いろんな理由で飽きなそうです。

つづく

わたし、入院していますep.8

そう、私は食いしん坊である。

本当に幸せそうに食べる、量も割と食べる、なにより食べるのが本当に早い。
みたいなお声を多方面より頂戴しております…

温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに。ご飯が来たらすぐ食べよ〜お願いお願い、作る人も出来立てを食べて欲しいわけですから〜(うるさい)

仕事中一緒にランチ行ったりすると、大体驚かれる。話しながら食べてるのになんでそんなに早いの?と。

「今まで私(僕)より早く食べ終わった人、チョロが初めて。噛んでる?」

多分噛んでない(噛んでるけど少ない?もしくは速い?)、あとひと口がめちゃくちゃでかい。

食べること、楽しくて大好き。

でもいつからか食事はタスクになっていたような気がする。
父に「お前の食べ方、食べることでストレス発散してるみたいに見える、もっと味わいなさいよ」と言われたりもして…

えー?そうかなあ、そんなことない、味わってるよ今日だってこの煮物美味しいし、お肉も美味しいよ、もぐもぐ

と、思ってた。

入院してしばらくは絶食。手術の可能性もあるので水もNG。そもそも痛みで食欲はなかった。

そのうち体調が少しずつ良くなるのに従い、気付いたことがある。
ご飯の時間って、なんというかいいムードで、みんな声には出さないしカーテンで見えないけど「わ〜🌸」みたいな感じが部屋に満ちる気がする。
ご飯を運んできてくれた時に、誤配防止のために名前と生年月日を言うんだけど、向かいのベッドの方がいつもいつも朗らかに答えてて、それを聞いてるとこちらも嬉しくなったりして。

暇なので、今日は煮物かなあ、にんじん、椎茸?ごぼう…治部煮か?などと想像して、後で談話室に貼ってある献立表を確認しに行くという地味〜な1人遊びを開発したりした。

2/3
「チョロ寺さん、血液検査の数字がだいぶ良くなったので、流動食を始めていきたいと思いますがどうですか?」

9時ごろに先生が回診にきた。
そしてその日のお昼から、流動食が始まることになった。展開が早い。

検温に来てくれる看護師さんや点滴の交換に来てくれる看護師さんが
「チョロ寺さん、流動食になるって聞きました☺️?」
「チョロ寺さん、やりましたね☺️!」
などと言ってくれるたびに、うんうん、そうなんですと頷いてたら、みんなが一様に
「あっ、あのでも流動食って言っても、本当にほんとに汁って感じで…あの本当に汁…☺️💦💦💦」
と同じように心配してくれるのがおかしかった。

多分、私が本当に嬉しそうに見えたんだろう。「そうなんですううううう😊x5000」って言ってたもん。あんまり喜んでるからがっかりしないようにしてくれたんだろうな。優し。

お昼の前に、鼻から喉を通って胃に入ってた管を抜いた。これ実は陰圧をかけて胃に溜まる胃酸や胆汁?を吸い出していたもので、胃カメラのあとから今までずっと入っていた。入れる時は訳がわからないうちに管を突っ込まれたので気付いたら入ってたわけだが、これ抜くの結構勇気がいるじゃないの、ドキドキするわよ…と思ってたら

「チョロ寺さんご飯の前にこれ抜きますね」
ささっ
「は」
するするするするするするする
「お?」
するするするするするするする
「い?」
するする
「いや長い」
「そうですね〜長いですね〜…」

気持ち作る前に抜かれた。先生いつも急…

そしてはじめての流動食。

「チョロ寺さんお昼ご飯です〜、お名前と生年月日お願いします」
「チョロ寺おチョロです!83年8月1日生まれです!」
前のめりな俺

メニューは
・重湯
・お味噌汁(赤だし)
・オニオンスープ
・ホット麦茶
・オレンジゼリー

えっめっちゃ豪華じゃん🤯🤯🤯

緊張しながら食べ始める。するりと細いお匙がついてきて、熱々の重湯をすくって口の中に入れた。
まず重湯にあたる舌先から…お米の味がする……!
それが口の中にじんわり広がり、ごくっと飲み込むと食道から胃にかけて熱が伝わり、そこからじわわわわわ〜…と体に広がっていく…!なにこれすごい…!

いつものペースで食べるとおそらく胃腸に負担がかかってしまうので、ゆっくり味わいながら食べることに全集中、不思議と気持ちも落ち着いてくる。
重湯にお椀の汁物がふたつ?と最初思ったけれど
どうしてどうして、味が2種類あることで全く飽きない!

赤だし、出汁の味にほっとする…
オニオンスープ、玉ねぎの甘みで自然ににやけちゃう…!

毎食こんな感じで感動し、それが3食続くのでなんだか日々に彩りができた。

ああ、食べるっていう行為は生きるための行為なんだなぁ、ということを実感した。

それから、これってほとんど瞑想に近いというか…なんだろう?食べてるのは「今」この瞬間の私なので、いわゆる過去にも未来にも思考が飛ばなくて凄くいい。

先のこと考えすぎて不安になったり、過去の後悔や罪悪感に囚われたりしたら、しっかり目の前にある「食事」だけをするといいんじゃないかと思った。

病院にいる間、ゆっくり味わう練習しようっと。新しい習慣を作るのだ。

つづく

わたし、入院していますep.7

私が入院してる病院は最近新しく建て替えられた。昔は本当に古くて、夜になるとちょっと怖そうな感じ。
祖父が胃癌で入院してたのがちょうどこの病院だった。
私が高校生の時か。電車通学していて、学校帰りにお見舞いに来ている祖母と病院で待ち合わせをし、祖父の夜ご飯を見守り、そのあと2人でご飯を食べて帰るのが『お楽しみ』だった。

病室に入り看護師さんや周りの人に挨拶しつつ「おう」というと「おう」と祖父がいい、疲れた〜と言って祖父のベットでゴロゴロする。
「邪魔だな」「でけえな」と言いながら祖父はちっとも嫌そうじゃないのを私は知ってる。手術したあとで食欲のない祖父は「もうお前が食べろ」と半分以上残った病院のご飯を私に勧める。
えー、この後ご飯食べに行くんだけど、と思いながら部活帰りでお腹が空いてるので、いつもぱくぱくぱくっと全部食べた。
「もう食ったのか?早えなあ」とニヤニヤ嬉しそうにするのが何となく嬉しくて、いつも少し急いで食べた。

「ほらもう帰れ」と急かされて、「じゃあね〜おやすみーまた来るね」と祖父に言い、祖母と腕を組み、ビジネス街の夜を歩く。

どこにする?と言いながら、祖母はいつも、ここぞとばかりにいいところに連れて行ってくれた。なだ万、柘榴、たん熊…もう私一生行かないと思う、そんないいお店笑。

祖母は定年までずっと役所の福祉課で働き、定年後も非常勤で働いてた。義理の母(私の曽祖母、ひいばあ)の面倒をずっと見てて、平日も昼は同じく役所勤めだった祖父と家に帰ってきて、みんなのお昼を作り、曽祖母と3人で(私がいると4人で)お昼を食べ、また急いで洗い物をして役所に戻った。

そんなコマネズミみたいに人のために働いて働いて働いた人が、夫の入院中に、孫とちょっと(だいぶ?)いいご飯屋さんでご飯を食べるっていうのは多分最高の贅沢で息抜きで、もしかしたら仕返しだったのかもしれないな、と思う。だれに?うーん、自分の人生に?それは仕返しとは言わないか。ご褒美っていうのか。

今回入院するまでは、この病院のことを考えると、そういうことが一気にセットで思い出されてた。祖父も祖母もいつかは死ぬなんて思ってもなかった能天気な高校生だった私の視点で。

だからちょっと、搬送されたとき嬉しかった。
綺麗になっちゃったし、周りもまた綺麗になっちゃったから、その時とは全然違うけど。

でも例えば、病院のすぐ近くにある大使館の大きな木。あの木はきっと祖父が入院していたとき、祖母が家と病院の往復で大変で、合間に孫とのご飯を楽しみにしてたとき、多分ずっとそこにあったはずだ。

そんなことを病室のある14階の談話室から見下ろしながら、考えた。

2月になった。
正式に車椅子じゃなくてもいいことになって、ベットの上に貼ってあった車椅子マークをとってもらった。
いちいち看護師さんの手を煩わせないでいいのが気楽で嬉しくて、ひとりで院内のコンビニに行ってみたくて、点滴のスタンドをガラガラ押しながらコンビニに行った。
まだフラフラする時もあるので慎重に…。

今年は節分が2日なのかあ、と思いながら豆まきの豆が並んでるのを見た。

入院する前、娘とした会話を思い出してふふふ、と笑ってしまう。

「はぁ…ねえママ…。学校にも鬼くる?」
「え?どういうこと?」
「あのほら…保育園にきたじゃない…鬼…怖くて泣いちゃって…あれ学校もまた来る?」
「ああ!節分の鬼のこと?うーん、どうだろう?ママの時は学校までは鬼来なかったから大丈夫じゃない?」
「そうなの?あ〜よかったほっとしたぁ!」

相当怖かったんだなあ。
彼女は自分の中にいる泣き虫鬼を今年は退治したいらしいんだけど
ママの方が泣き虫だからな〜退治しなくてもいいのでは…。と思ったりして。

ずっと絶食が続いていて、もう1週間が経つ。

お腹がすいたとか、そんな次元は通り越してしまった。でも「美味しそうだな〜」とは思うので、コンビニの棚の商品を見てるのが楽しい。
コンビニの棚にある商品っていろんな人が一生懸命商品開発した成果な気がして、全部キラキラしてる。考えられていて、凝ってて、綺麗で、丁寧でエネルギーを放ってる感じがする。
だからコンビニ一周するだけで展示ひとつ見たぐらいの満足感と疲労感がある。これは元気な時には決してわからない感覚で、覚えておこうと思った。

つづく。

わたし、入院していますep.6

1/31
今日で一月が終わる。
一月の終わり、立春前のいちばん冬が濃い時。まずは蝋梅が咲き始めてそのあと梅が咲いて、冬と春のバランスが毎日少しずつ変わっていくようなそんな時期、外を歩きながら春を見つけるのが好きなんだけど今年は無理みたいだ。

週末の病院は静か。緊急以外の検査入退院もなく、病棟も静か。
そう、今はコロナ禍で面会ができないので、病棟のフロアには入院患者とスタッフしかいない。入院する人も大きな荷物を自分でもってフロアにやってくる(それか私のように車椅子かストレッチャーで運ばれてくる)。

「会えなくてもお手紙渡したいから病院に行きたいって」
「大丈夫かな?フロアまでは来れるけど、病棟の入り口で看護師さんに荷物渡すしかできないんだよ」
「それでもいいみたい。明日、車で連れて行くね」

土曜日の電話の後、そんなやりとりをした。

娘がそう言ってくれてるのは嬉しいけれど、なんとなく気が重かった。会えないでまた泣いて帰るだけになっちゃわないのかな?と。
でも彼女がそう言うならそうなんだろうな、それで気持ちがおさまるならそれはそれで良いのかな…。

その日は特に検査もなかったので気を紛らわすこともできず、なんとなくずっとソワソワしていた。
点滴を変えにきてくれた看護師さんに

「今日家族が荷物持って来てくれるみたいで…娘も」
「あ、そうなんですか?娘さん、いくつですか?」
「7歳〜」
「7歳かあ〜!会いたいですよねえ。会います?って言うか見ます?って感じですけど」
「え?見れるんですか」
「うん、離れてだけど、手振るぐらいなら。いつ頃きます?」
「え、今ちょうど上がるってさっき連絡あって…」
「あら、じゃもうきてるかな?ちょっと見てきますね」

「チョロ寺さん!来てた!ちょうど!来れます?」

「ちょっ待っいま」

ガラガラガラガラと点滴スタンドを転がしてスタッフステーション(そういえば今はナースステーションじゃないんですよね)のところに行くと、病棟入り口でパパの前に立ってパパに腕をホールドされてる娘がいた。

…わぁ〜、むすめちゃんだ…

ふりふり、と手を振ってみたら

ふりふり

と帰ってきた。

二、三回そのやりとりをしたところで、あ、あの子泣くなっていう空気。

しまった私眼鏡だから顔がはっきり見えない、もう泣いちゃってるのかな、あぁもうコンタクトにしてくれば良かった。

多分いま泣きそうな顔で、あ、泣いた、静かに泣いた、だめだこっちも泣いちゃう、ちゃんと見てたいのに。あの愛しいフォルムをちょっとでも長く見ていたいのに、あ、コートが新しい、ばあばに買ってもらったんだな、よかったねえ

10mぐらい離れたところから無言で手を振って、お互いが泣いていた。

「ママ見てるからエレベーター乗っていきな」

このままずっといたら止まらなくなって帰りたくなくなっちゃうだろうなと思ってそう言った。

ふるふる、と首を横に振る。
そうだよねえ…帰りたくないよねえ…

「じゃあ、ママがお部屋に戻るよ。来てくれてありがとう、明日からまた学校頑張ってね!」

そう言って手を振った。
ひー、と袖におでこをあてて泣いた。
泣いてばっかりだ。

この絶妙な距離、10m。なんだか彼岸と此岸みたいだったな、さつきと等みたいだな。
ムーンライト・シャドウという吉本ばななの短編小説を思い出した。

辛すぎて、でも泣いても仕方ないし、と荷物の整理をしようと持ってきてくれた荷物を開けた。
中にフェルトの表紙の本?が入ってて、手紙が入ってた。
手紙、とても可愛くて、文字書くのあんまり好きじゃないのに頑張って気持ちを込めて書いてくれたんだなあとまた泣きそうになって、本の方を見た。

『むかし あるむらに おんなのこと おかあさんが いました そのとき とつぜん おかあさんが おなかがいたいと いいだしました そのおかあさんは にゅいんすることになりました』

昔話に…なってる…😂😂😂😂😂
にゅいん…

そして次のページに

「つぎに いっしょに かこうね!」

とたくさんハートが書いてあった。
涙が一気に引っ込んだ。かわいくておかしくて。

やっぱり彼女は優しくて可愛くて、我慢強くて面白い。最高の娘ちゃんだ。

つづく

わたし、入院していますep.5

さて私には7歳の娘がいる。工作が好きで、なかなかに自分の気持ちを説明するのが上手な小学校一年生。ちゃっかりしてて、優しくて可愛くて、我慢強くて、あと優しい(2回言った)

彼女が4歳の時に離婚して以来、ずっと一緒に寝てきた。物理的に。
長野の時はふとんで、セブの時は広いベッドで、いまもシングルベッドで二人でぎゅうぎゅうになりながら寝てる。

たまに「そろそろ一人で寝てみようかな?」とか言ってるけど、五分ぐらいすると「やっぱりいい!ママと寝る!」と言っている。

私もまあまあでかいし、彼女は寝相が悪いし(よく回転する)、あーひとりで寝たい、と思ってだのが、この間からあっさり叶ってしまった。

腸炎かもしれない、今日はばあばと寝て、と言った次の日の朝、大丈夫だった?と聞いたら

「こんなのはじめてだから、寝れないよ、絶対に寝れない………スヤ」

という感じだったようで、良かったなと思った。夜は正直気にしてる余裕がないほど痛かった。

入院して、昼間に家族から娘の様子を聞いたりする時、痛みで夜中に目が覚めたとき、隣に(たまに上に)あの小さな、でも確かに上下する背中や肩がないことを、ああ寂しいなと思う。

いやいや、私よりも娘の寂しさいかばかりか、どうしてあげたら寂しくないかな、LINE通話をするのが良いのかなと思って、パパと遊ぶ予定の土曜日の日中、まずどうしたいかを聞いてもらうことにした。

・ママのお顔にはチューブがついているから怖いかもしれないけどそれでも電話するかどうか

・写真も送るので、事前に見た方が良ければ見ておいてもらって

「それでもママと電話したいって」

ということで時間を決めて電話をすることにした。

看護師さんに談話室に車椅子で連れてってもらうまでの間に、私がもうダメだった。電話で顔が、声が聞けると思ったら泣いてしまって、嗚咽が止まらなくなってしまい、看護師さんに

「えっ?!チョロ寺さん大丈夫ですか?お腹痛い?戻ります?!」

と二の腕のとこをさすさすされながら心配されてしまう。

「ずいまぜん…むずめとでんわできるとおもっだら…どまらなぐなっちゃって…う〜〜〜😭😭😭」
「ああ〜😣😣😣(さすさすさすさす)」
「ふー、もう大丈夫でず(ぐひん)」

呼吸に集中して、(全集中…

気を取り直して電話をした。

娘は少し照れていて、嬉しそうにパパに買ってもらったものや作ったものを見せてくれた。

髪の毛がぐっちゃぐちゃだったので、

「なんでそんな…髪の毛ぐちゃぐちゃなの??」

と聞いたら待ってましたとばかりに

「あのねえ〜!!!!きのう 大じけんが おこったんだよ! じいじの おへやで はみがき してたんだけどね、はみがきこを ふりふりしたら、ふたが しまってなくて かみのけにも へやじゅうにも はみがきこが べちゃべちゃべちゃ〜!!! ってついたんだよお😆😆😆😆😆」

そら〜大事件だしじいじマジ災難😇

「ママの、これ怖くない?」
「…うん…うん、大丈夫」

ちゃんと答えようとしてくれるその感じが愛しくて、胸が詰まる。

今ご飯もお水も食べてないんだよ、と言ったらすかさずチロルチョコを見せつけてくるあたりさすがだなと思った笑

そろそろ、切るね、と言った時にきゅ、と下唇を噛んだその顔は彼女が泣く前の顔で、何千回と見てきたのでよくわかる。我慢してるんだ。
そ、りゃ、そ、う、だ、よ、ね〜😭😭😭😭😭

なんとか泣く前に切って、またひとしきり泣いて、落ち着いてから呼び出しボタンで看護師さんに来てもらって病室まで帰った。

電話の後堰を切ったみたいに泣いちゃって、と後からラインで聞いた。

そのあとお昼からまた熱が上がり、痛み止めの点滴をしてもらった。熱と痛みで朦朧としてる中に音楽で気を紛らわそうと思ってspotifyをつけた。
そこでイヤホンで流れてきたのがBTSのHOMEで、ここでまた涙腺が大崩壊する。

*
니가 있는 곳
(君がいる場所)

아마 그곳이 Mi Casa
(多分そこが 僕の家)

With you I’mma feel rich
바로 그곳이 Mi Casa
(そこが僕の家)

미리 켜둬 너의 switch
(先に付けておいて君のswitch)

Yeah
말을 안 해도 편안할 거야
(言葉をかわさなくても余裕があるんだ)

너만 있다면 다 내 집이 될 거야
(君さえいれば全てが僕の家になるんだ)

You know I want that
Home
You know you got that
Home
*
ああ、ベッドが広いよ。
はやく家に帰ろう。
君のいる家に帰ろう。

それでまた一緒にいろんなことしよう。

つづく

わたし、入院していますep.4

ぐったりしてたら先生が来て、チョロ寺さん、午後の検査の前に現状ご説明しますんでこちら来てもらえますか、と言って去って行った。

ワシは車椅子なんじゃ…待っとくれ…と思ってナースコールで「すみません車椅子お願いします…」とお願いする。

説明室という個室で先生が病状について説明してくれた。

「CTとMRIを見ると胃の次の十二指腸の壁が分厚くなってる。一番心配してるのが十二指腸の潰瘍穿孔(せんこう)。穴が開いてるところから内容物が外に出て、お腹の中に散らばって炎症し、腹膜炎になる、という流れね。
ただ一つおかしいなと思うのが、胃とか腸には空気が溜まってるので、穴があればそれが外に出てプツプツとfree airが見えるはずだけども、CTではそれが見えてない。クエスチョン。」

「クエスチョン」

「うん。穿孔の場合、穴があれば造影剤を流すとそれが胃カメラにうつる場合があるのでそれを計測する。
画像みてると十二指腸憩室(けいしつ)にも見える。これは年齢を重ねてくるとみんなできる、特に大腸にできやすい。腸の壁にぽこっとした窪み、部屋ができて、そこに内容物が溜まったりガスが溜まったりする。でもチョロ寺さんの年齢を考えるとちょっとできるには大きすぎる、だからこれは憩室ではなく、穿通(せんつう)なんじゃないんじゃないか?という予測。」

「せんつう?」

「穿通というのは、穴は開いてるけど他の組織で補完されているもの。穿通の場合、このまま吸収されて治るケースもあるし、ちゃんとした臓器ではないので炎症を起こしてしまう場合もある。」

「ほお…なるほど…」

「基本的には血液検査の経過がいいので、手術ではなく保存的に…保存的というのは投薬などで見ていくつもりです。」

「わかりました」

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先生の絵がうますぎて、あと字が良すぎて見惚れてた。

ベッドでうとうとしかけたところに
「チョロ寺さん胃カメラ行きましょう〜」
と呼ばれる。
さっき先生は
胃カメラやったことあります?お腹も痛いし、苦しいと辛いから今回は麻酔でね、寝てる間に終わっちゃいますから。だから大丈夫ですよ。」
と言ってた。


胃カメラか〜胃カメラは5年ぶりぐらいだな〜、前回は苦しかったけど、コード操る先生との一体感が楽しかった気がするな…眼鏡で行っちゃって、外さなきゃいけなかったから胃の中の映像が見えなくてつまんなかったから次やる時はこコンタクトで行こうと思ったんだった、、、今回麻酔で見れないのつまんないな、でもまあ苦しくないからいっか〜

と思いながら今度は小森さんじゃない方に連れてってもらう。

「このシュワシュワしたのが喉の麻酔です。口の中に含んで、上を向いてそのままにしてください、口の中がだんだんボワーンとしてきますから、飲み込まずに待っててくださいね〜」
「は〜い」

これどれぐらいこのままでいたらいいのかしらね〜…
いちごみたいな味だな…
結構体力消耗してるけども胃カメラは寝てるだけで大丈夫だし、なんとか乗り切れそう…

「はい、じゃあ飲み込んでくださいね」

飲み込むと喉が分厚くなったような不思議な感覚。麻酔が効いてるのね。
この他に呼気で麻酔があるのかな?

車椅子で検査室の中に入っていく。
検査台は全てブルーのビニールでカバーされていてなんか異様。

「ではこちらの台に乗ってください。この辺りに手をついて右側から腰をおろしましょう、そうです、はいそのまま寝て。鼻の空気をつけます、口にこれを咥えてください、ここから入ります」

透明なホースを硬化したプラスチックみたいなものを咥え、あれこれ鼻から入れるんじゃなかったっけ、このあと麻酔がくるのかな?



と思った次の瞬間


ゲホッグェ、げっほげっほげっほ(白目)
死⚰️ ⚰️ ⚰️っげっほっげほげほげほ(白目)

みたいな状況で頭が真っ白

「はいお疲れ様でした鼻から喉にかけて管入ってますけど大丈夫ですからね〜」

お?!終わってるっ、え?管?なんの話…?!!!!

ん”、ぐるじい、ぎもぢわるいなんか喉のおぐにあるううううう

これなに😇😇😇😇😇

最初に言って…と思ったけど言われたらそれはそれでずっと「鼻から喉に管?!やだなあ」とずっと思ってたと思うから言われない方がよかったのかも

この管のこの感じ……唾を飲み込もうとすると喉の奥に引っかかる何かがある、めちゃくちゃでかい魚の骨が引っかかってるような、扁桃腺がぱんぱちに腫れてるような、唾を飲み込もうとすると痛くて突っかかって辛い、そのような。

ぜえぜえいってたら看護師さんがよだれを拭いてくれて、大丈夫?立ち上がれますか?車椅子に移りますよ、足はこっちね。と誘導してくれる。
…よかった靴買っといて…スムーズに靴を履いて検査室の外に出る。

このあと検査室の外で少し待って何かしていた気がするけれど、記憶が曖昧。喉の違和感に意識がもっていかれ、胃カメラの消耗も激しく、ぐったりしていた。

そのあと熱が上がり、痛みも出て、鎮痛剤を打ってもらってその日はずっと寝てた。

つづく。